過ぎ行く時を惜しみながら
こんにちは
新年度が始まってもう一ヶ月が経ちます。
悲しいくらいに時の流れは早くて、あっという間に置き去りにされてしまうような感覚になります。
あぁ、あれやんなきゃな
これやんなきゃなんて思ってたら月が変わってしまい、やるせないです。
そして、その時の早さに漠然と焦りを感じています。
毎日できることをやっているはずなのに、振り返ってみるとなんとなく、満足いかない、そんな気分になります。
これはしょうがないことなんですけど、なんか悔しいです。
そういうことを考えるほど、自分は欲張りなのだと再確認します。
きっと、満足できる時なんてこないのだと思っていますが、できることはやりたいです。
できることはやってその結果がダメでもよしとします。
もちろんそれは一生懸命やることが前提ですけど。
絶対に時は止まらない。
だからこそ、今できる最善を考え抜いて実行していきたいと思います。
理解に好き嫌いは関係無いということ
こんにちは
今日は大学の講義でBLについて学んだのですが、正直BLには全く興味がありません。
読もうとも思いません。
けれど、BLが何故流行るのかということは興味の対象になります。
ちょうど教授がこんなことを言っていました。
好きか嫌いかは置いておいてそのことについて理解することは大切なことである、と。
好きか嫌いかは二の次だということですね。
もちろん好きなことにこそ、興味があるしそれだけ見ていれば楽しいのは当然ですが、物事を広く捉えるということにおいてはそれだけでは不十分だということです。
自分が好きじゃないもので、巷で人気のあるものがどうして人気なのかということを理解できれば、それを好む人のことも理解できるかもしれません。
BL自体を好きになることはないかもしれないけど、社会の一部として、何故人々がそれを好むのかを考えるのは大切だと思います。
それは全てのことに通ずると思います。
好き嫌いを超えて、興味の対象を広げていくと、視野が広がって人生の幅も広がるでしょう。
結局何故、BLが人気なのかまだわかっていませんが、きっと人々に潜在する何らかのコンプレックスをBLは具現化しており、それを自分と重ね合わせることによって生じる快感を受けては楽しんでいるのではないかと勝手に推察しています。
ただ、少なくともメインターゲットは女性だと思うので、そのターゲットである女性を理解することと同義とも思えるこの課題はナカナカハードなものだと思っています、、
歌うことは命 in Disney Sea
こんにちは
今日はディズニーシーにやってきてました!
割とすいてます
Golden week前だからかな?
ただ日照りがきつくて、汗ばみます、、
びっくりしたのはインディージョーンズ近くの男子トイレがなかったことです。
あ、そういえば、半年前に泊まったミラコスタホテルの外壁も今や工事が終わってすっかりきれいになっていました。
今泊まるには前金を払わなければならなくなったみたいですね。
ディズニー関係ないんですけど、今すごく歌いたいです。
どんな時でも歌いたいです。
喫煙者がタバコを吸うように、酒飲みが酒を飲むように僕はメロディを発したいです。
でも周りに人がいて歌えず、ムズムズするという点では吸いたくても吸えない、飲みたくても飲めないに近いものがあります。
いちいちカラオケ行かなきゃ行けないのはシンドイなぁ!
なんとかして今日は歌えるポイントを探します。
ジェットコースターのクライマックスで。
シンドバットの冒険で。
とにかく人生は冒険です、心のコンパスにしたがって進んでいきましょう。
ゴール設定の大切さ
こんにちは
今日はゴール設定について考えます。
何か、物事を始めた時その終りのことって考えていますか?
というのは、何か達成したいことがあるなら、具体的に〇〇年の〇〇月までに〇〇を達成するといったように終りを設定することが極めて重要だからです。
何故かと言うと、人間はナマケモノなので、例えばダイエットしようと決めても、明確な目標と期限がなければ、痩せられないようになっているのです。
逆にいうと、ゴールさえ決めてしまえば、あとは逆算的に自分が今やるべきことが見えてきます。
そしてもっと言えば、終りがあるからこそ頑張れるということです。
終りが見えないといつまで頑張っていいかわからないので、結果的に続かなくなります。
またゴールを設定しておけば、当初の目標であった数値に届いてなかったとしてもちゃんと終りを設定しなかった場合より成果は出ているはずです。
もちろん設定した数値を絶対達成するという気持ちがあってこそですが。
そう考えると、人生も同じですね。
人生にも必ず終りはやってきますが、それがいつなのかわからないから頑張れないということがあるのかもしれませんね。
ただ、突然終りがやってくることだってあるわけですから、毎日明日が終りと考えてみてもおかしくないでしょう。
そう考えた時、今日は何ができるか、そういう意識は大切です。
長期的な目標設定は自分が達成する時まで生きていることが前提です。
だから目標設定の途中で命が尽きたら意味がなくなるわけです。
もちろんそれは仕方ないことですが、理想的なのは、長期的なゴールを追いかけつつも、そこに至るまでの1日1日が、全て完結したものであると考えられることです。
そうすれば上記のように意味がないということはなくなります。
逆説的に思えますが、ゴール設定はあくまで人生の中の一場面でしかないので、それが頓挫したことイコール人生の終りと考えることはもったいない気がします。
自分の人生の終りから逆説して今何ができるかということを考えることは僕の人生にとって常に重要なことであると思います。
今日も膝の上にいる猫を愛でながらこんなことを思いました。
全ては科学でできている
こんにちは
僕は文系人間です。
言語が好きなので、きっとそうです。
でも、最近気づいたのは、私たちが住む文明社会は科学に基づいているということです。
文学や音楽はそれに相反するものかと思いますが、それが作られるようになったのだって、どの時代を切り取ってみても、科学が進歩した結果生まれた生活があってこそです。
文学や音楽が科学に影響を与えることは少ないと思います。
ある創造の発想を促す点ではありえないこともないかもしれませんが。
悲しいことに自分はどちらかというと科学する人間ではないので、科学の恩恵を受け取るだけで終わってしまいます。
だから自分にできることは科学の恩恵を上手く活用することだけです。
あ、あとめまぐるしい科学の発展に取り残されないようにもしないと、、
3階を「さんがい」と発音する理由
こんにちは
今日は言語学の授業で興味深いことを学びました。
日本語には「ん」という文字がありますよね。
実はこの「ん」って厳密には一つだけの音じゃないんですよ!
3
3本
3階
3人
これ発音してみてください。
全部一つの形で発音できましたか?
実はこの4つの単語に使われている「ん」は全部違う音なんです。
3は地域にもよりますが基本的に〔saN〕という音です。語末に使われて、音を止めるように発音されます。
3本は後ろに「ぼ」があるのでどうして唇をくっつける必要があります。だから唇をくっつける音になり〔sam〕のように「む」に近い音になります。
3階の場合は、「か」の音に引っ張られて、鼻にかかったような音になります。発音記号は〔saŋ〕というふうになります。
そして3人という単語が一番オーソドックスな〔san〕というふうになります。
面白いですよねー
日本人はちゃんとこの音を使い分けているんですよー!
それでは本題ですが、
日本人は3階という時、「さんかい」と言わず
「さんがい」ということがありますよね。
いっがい、にがい、とは言わないのに何ででしょう。
これがまさに上の発音の違いに関係してくるわけです。
3階には〔saŋ〕が使われていますね。そこでŋの音はkaiのkの音に影響を与えるんです。
どうしてかというと人間はなるべく楽して発音しようとするからです。
saŋkaiと発音するより、saŋgaiにした方が楽に音が出せるんです。
こういう風にŋがkに影響を与えgに変えることを同化作用といいます。
ここで疑問が浮かびあがりますね。
3回などの場合は何故「さんがい」と言わないのか。
これは上の発音を理解してもらえばわかるのですが、3階と3回ではアクセントが違いますよね!
そうすると3回の「ん」はŋの音じゃなくてnになるんです。
今まで意識しなかったけど、こう考えると結構面白いですね!
また、面白いことを学んだら随時紹介していきたいと思います!
自己愛
他人のことを100%理解できるか?否、それは絶対に無理だ。
むしろ理解できなくていいと思ってる。
こんな切り口から何を語りたいかというとそれは自分の生き方についてである。
思えば高校生の下半期を境に、人に合わせたい自分から、合わせたくない自分に変わっていった。
そう言ってしまうと語弊があるかもしれない。
実際には、自分の思っていることが他と合わなくなっていったのだ。
何か集団の流れにのれないそんな感じだ。
投資の相場ならば、トレンドに合わせ順張りで行くことが無難な場合もある。
そんな中で逆張りをしてしまえば、自分が損を食うだけだ。
けれど、人生が相場と違っている点は目的が多種多様だということ。
相場であれば金を得ることが目的であるけれど、人生であれば、その目的が金を得るだけだということは決してないはずだ。
だから自分の人生の目的をしっかり見据えて、自分が決めなければならない。
もしそれがトレンドの中にあるのであればもちろんそれはよしだ。
しかしそうでないなら、自分を叩き出す必要がある。
その場合トレンドにいる他とは違うことをしなければならない。
そうなってくると文字通り自分だけが浮いて思えるかもしれない。
何か間違ったことをしている気になるかもしれない。
もしかしたら他人に何か言われるかもしれない。
それはバカな選択だと。
でもそれでいい。
自分がどういう風に考えているかなんてその相手に説明する必要はない。
どのみち他人を100%理解することは不可能なのだから。
自分に理解を示そうとしない相手にはなおさら意味がない。
そいつは好意でいってるかもしれないが、こっちからしたら耳触りなことだ。
と、言いながらも、その反面、自分の中にはあきらめの声も弱々しく響いている。
思えば自分はなんにしたって中途半端だ。
自分をひとことで表すならその言葉がしっくりくるだろう。
振りきれなさがやるせない、そんな自分。
でもそんな自分を愛してやる。
自分しか知らない自分を愛する。
それができたら人生は豊かなものになる。