自己愛
他人のことを100%理解できるか?否、それは絶対に無理だ。
むしろ理解できなくていいと思ってる。
こんな切り口から何を語りたいかというとそれは自分の生き方についてである。
思えば高校生の下半期を境に、人に合わせたい自分から、合わせたくない自分に変わっていった。
そう言ってしまうと語弊があるかもしれない。
実際には、自分の思っていることが他と合わなくなっていったのだ。
何か集団の流れにのれないそんな感じだ。
投資の相場ならば、トレンドに合わせ順張りで行くことが無難な場合もある。
そんな中で逆張りをしてしまえば、自分が損を食うだけだ。
けれど、人生が相場と違っている点は目的が多種多様だということ。
相場であれば金を得ることが目的であるけれど、人生であれば、その目的が金を得るだけだということは決してないはずだ。
だから自分の人生の目的をしっかり見据えて、自分が決めなければならない。
もしそれがトレンドの中にあるのであればもちろんそれはよしだ。
しかしそうでないなら、自分を叩き出す必要がある。
その場合トレンドにいる他とは違うことをしなければならない。
そうなってくると文字通り自分だけが浮いて思えるかもしれない。
何か間違ったことをしている気になるかもしれない。
もしかしたら他人に何か言われるかもしれない。
それはバカな選択だと。
でもそれでいい。
自分がどういう風に考えているかなんてその相手に説明する必要はない。
どのみち他人を100%理解することは不可能なのだから。
自分に理解を示そうとしない相手にはなおさら意味がない。
そいつは好意でいってるかもしれないが、こっちからしたら耳触りなことだ。
と、言いながらも、その反面、自分の中にはあきらめの声も弱々しく響いている。
思えば自分はなんにしたって中途半端だ。
自分をひとことで表すならその言葉がしっくりくるだろう。
振りきれなさがやるせない、そんな自分。
でもそんな自分を愛してやる。
自分しか知らない自分を愛する。
それができたら人生は豊かなものになる。