死を思え memento mori


こんにちは 

今日はこんなことを思いました。

もし明日死ぬとしたら、私は今日何をして、どう過ごすのかと。

何かつまらない仕事だったり、楽しくないことをしている日々があったとします。

じゃあそれをやめて楽しいことすればいいわけです。本当は。

でもそうしない理由はお金が稼げなくなるから、生活ができなくなるからですよね。

でも、もし明日死ぬとしたら、仕事するんでしょうか?つまらないことやるんでしょうか?

その答えは人それぞれだと思います。

最後まで、仕事したい人だっているかもしれないし、つまらないことやるかもしれません。

でも、こういう問いに対して、旅行に行くだとか、持ち金全部使ってパーっとやるだとか、最後にみんなに会うなんて答えるとしたら、なんで、普段はやらないんだろうって思いませんか?

その答えはきっと、今じゃないと思ってるからです。

私たちはどこか、将来というものは前提にして生きています。

これまで命が続いてきたから、またこれからも続くと思うわけです。

ひょっとしたらそんなことすら考えないかもしれない。

でも、それって不確実ですよね。

人間はいずれ、必ず死ぬのであって、それが遅いか早いかの違いがあって然るべきでしょう。

ということは明日死ぬことだってありえるわけです。

これは仮定の話ですが、現実にだって十分起こり得ることです。

じゃあそういった事実がある時、私たちはどういう姿勢で人生を生きるべきなのでしょうか。

明日死ぬことを考えて常に今日を本気で生きれたら毎日が素晴らしいものになりませんか?

結果的に、比較的長い人生を過ごすことになっても、あぁ私の人生本当に楽しかった、と思って死ねるんじゃないですか?

だとしたら、毎日死を思って、生を奮わせるべきでしょう。

ちなみに、明日死ぬとしたら、今日何するかという対して私は何するか、何したいか検討がつきません。

だってそうなってみないとわからないから笑

だから死を思えっていうのは実際困難極まりないことだと思います。

それでも、臨場感を持って、その時にしたいことを必死に考えて、思い浮かんだものこそ、今の人生で自分が本当にやりたいことなのかもしれませんね。